Dr.Kの挑戦(第7回)「人生100年時代」の医療のあるべき姿

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医療は投資である

 当院は、疾病の重症化という崖下に落ちる危険性を最小限にするために、自身の健康維持・増進に対していかに医療資源を投資するかを常に考えて目の前の患者さんに対峙しています。病気を抱えた患者さんを治療することは医師のプロフェッショナリズムとしては当然のこととして、事後措置的(Reactive)でなく先見的(Proactive)な視点が求められます。前回紹介した「医療は投資である」というスタンスで再定義された医療を啓蒙し模索し提案しています。

 人生100年時代の到来によって、医療費は加速度的に増加しており、2017年度には42兆円となりました。年々、医療費が増加する主な原因は75歳以上の後期高齢者の医療費の増加であり、当然、高齢化の進む日本では、今後も医療費の増加が予測されます。2040年には67兆円になるとの予測もあります。そのような未来予測の中で、日本の医療・社会保障制度はこのままで大丈夫なのかと非常に心配になります。戦後の日本人の平均寿命は約50歳程度だったのが、現在は女性が87歳、男性が81歳。世界で最も平均寿命が長い国の一つとなっています。これは日本の医療レベルと医療制度がその目的である健康を改善するということに「成功」したからにほかなりませんが、その結果として医療費が膨れあがったというわけです。したがって、現在の医療費の増大は、ある意味で日本の医療・社会保障制度の成功の裏返しでもあります。

 現在の医療・社会保障制度はあるところまでは持続可能だと考えますが、現在の制度が財源の問題というより「時代錯誤的」「時代遅れ」になっていることで、将来に向けての破綻のリスクをはらんだ状況だと考えています。現在の社会保障制度を時代に合ったものに変えていく模索・努力が政治家や官僚・研究者のあいだでなされているところだと考えますが、社会保障というのは、高齢や病気、障害、貧困などによって日々の生活が困難な状況に陥った人々を社会全体で支え合う相互扶助の仕組みであり、その分野には年金制度、医療保障、介護医療、子育て支援事業という4つの大きな柱があります。しかし人生100年時代の安心の基盤が何よりも健康であることを考えると、「健康維持・増進のための予防医療」を5番目の柱として位置づけて、社会全体で進めてゆくことが重要だと考えます。予防医療への提言は本来重要な政治課題であり、選挙の重要論点になるべきだと考えますが、いまだに公約として掲げた候補者に巡り合った経験はありません。ポピュリズムの嵐の中では票に跳ね返ってこない論点なので、置き去りにされていると半ば諦めています。

 21世紀の医療が求められるのにその構造が19世紀のままであり、旧来型の発想のまま漫然と今の技術を使っていることが根本的な問題と考えます。現場の医療・介護従事者は、相手にとって価値のある仕事をしている中で、やみくもにコストを下げろと言われても受け入れ難いはずです。こうした議論で陥りがちなのは、「コストと質はトレードオフする」という思い込みです。医療の質を上げつつコストを下げることは十分可能だろうと思っています。たとえば、効果のない医療をやめれば、質が上がってコストは下がります。医療に誤診があってはなりませんが、意図せざる誤診、そして無駄な治療で副作用が発生し、さらにコストがかかるという現実もあります。しかも、間違った治療をしたせいで病気が進行してしまうといった悲劇とコストも削減できる。そのためにはより正確な診療をすることはもちろん、本来回避すべきリスクを持っている人にアプローチして、医療サービスに迅速にアクセスさせることに注力することが重要と考えます。そもそも質の良い医療とは低コストで実現できるものと考えます。医療ミスを最小化し、重症化しないまま健康であれば、患者さんの負担はもちろん、社会全体のコストが抑えられるからです。

 「人生100年時代」の社会が現実問題として到来することを考えれば、日々目の前の患者さんを治療することは医師として当たり前としても、「予防」への取り組みがとても重要になるのではないかと考えています。これまで経験したことのない長い人生を健康に暮らし、社会に参加し続けられるかどうかは、国民1人ひとりにとっての幸福や生活の質(QOL:Quality Of Life)を大きく左右します。また、日本経済社会全体で長い目で見ても、健康に長く活躍する人が増えれば、人口減少の中でも、社会保障の担い手を増やすことで、経済社会の活力を維持・強化することにつながることは確実です。

 今の医療と制度をどう時代にマッチした最新のものにするかというのが重要な課題であり、その最新化の方針として一番の重きを置くべきなのは「予防」と考えます。「予防」とは、「病気にさせない医療、重症化させない医療」と言い換えることができます。そのために、病気になる前から、病院に来る前から医療を始めることが非常に重要です。別の表現をすれば、病気に対してではなく健康維持・増進に効率的、効果的に投資をする医療です。これまで健康維持・増進は自己管理が原則でしたが、これからは、科学的根拠に基づいて、国民の健康に効果のある健康管理を、広く社会全体に広めていく必要があると考えています。本来政治家がすべき課題と考えますが、そのような取り組みを草の根的に続けることが、多くの人々に長く健康で元気に活躍してもらえる社会が実現できるのではないでしょうか。

 医療制度の歴史を見ると、初期には医療サービスの「量」の不足に対して、医師を養成する大学を増設するとか病院を増やすこと、患者さんが病院に行けるように財政支援をすることに主眼があります。医療サービスの「量」が満たされると、次は「質」が問われる時代になります。そして、最後に「コスト」が問われる。しかし、この「コスト」のコントロールは極めて難しい課題です。

 予防医療は費用対効果の観点から検討した場合に医療費抑制に役立つのかについて、日本で現在行われている議論には確かな科学的根拠もないままに、予防という言葉の響きからくる雰囲気で極端な立場を取るものが多いと感じています。「予防医療をしても医療費抑制効果はない」と言う識者がいると思えば、「予防医療は医療費抑制に効果がある」と言う論者もいます。しかし、予防医療の効果判定は「ある」とか「ない」とかいう二元論ではなく、「予防医療の中には、医療費抑制効果があるものもあればないものもある」というのが世界の医療経済学者たちが歩み寄れているところです。このことは次の号以降で詳しく解説する予定ですが、現時点では、約2割の予防医療には医療費を削減する効果があるものの、残りの約8割には医療費を削減する効果がなく、治療に関しても、約2割は医療費抑制に有効で、約8割は有効ではないというのが共通認識です。したがって、医療費抑制を目的とするのであれば、やみくもに予防医療を推進するのではなく、予防医療のうち、何を優先的に推進するべきかという議論が必要なのです。つまり、予防医療に取り組めば医療費が削減できるという費用対効果の観点ではなく、予防をすれば人々の健康状態がよくなるから予防をしているのであり、予防をすることの目的を今一度整理し再定義しなければ議論が前に進みません。医療費を削減することだけが目的なのか、国民の健康を改善することが目的なのかというのを明確にする必要があります。

 私は、今の時代の医療の価値を「健康で長く自宅で過ごし、納得した人生を送ること」ことだと考えています。医療の高度化によって、これまで治らなかった病気が治るような技術や、病気になる前に対処ができる技術がでてきました。前者は治療の進歩、後者は予防の進歩ともいえます。これまでのサイエンスの医療では前者が脚光を浴びますが、実は後者の「病気にさせない、重症化させない」技術は、病気になってから始まる今の社会保障制度では対応できないのです。こうした疑問や課題に対して、理論や概念だけ唱えてもなかなか政治や行政は動かないので、社会実験的にひとつひとつ地道に実例を積み上げていくしかないと考えています。

 市中の大病院で勤務医として働いていた時はあまり感じていなかったが、地方のクリニックで高齢者医療に従事していた時、初めのうちは高齢者医療に貢献しているという高揚感がありましたが、現実に直面して毎日が敗北感・違和感の連続に変化しました。毎日のように崖下に転落していく患者たち(誤嚥性肺炎や虚血性血管疾患、骨折など)を目の当たりにして、自己犠牲的に働く医師の鑑ともいえる勤務医や献身的な看護師、介護のスタッフに大きく依存する現在の医療システムでは今後対応できなくなり、医療者だけでなく患者さんにとっても不幸な事態を招くのではないかと日々悶々としていました。医療の概念が治療主体のきわめて狭い範囲に限定してしまっている現状では、後手に回る事後の医療を続けているばかりでは何も前進しないと考え、「医療は投資である」という発想で新たな医療のスタイルを提案していこうとことに行きつきました。

 病気になった人に治療を施す医療から、科学的根拠に基づいた予防医療を展開して病気にさせないように取り組む医療に拡張させる突破口は保険者であるという発想から、リスク回避と負担軽減に焦点を当てた「投資型医療」を提案して起業した方の講演会を拝聴したとき、何度も納得してうなずく自分がそこにいました。

 彼は循環器内科医として活躍し、その後ハーバードビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得されており、その知名度・政治力を発揮してボトムダウンの投資型医療を提案しています。私のような周回遅れの落ちこぼれ医師にはとても真似できませんが、目の前の患者さんに対して、健康寿命延伸のために科学的根拠に基づいた健康への医療資源(食事や運動)の投資のノウハウと予防的医療を提案して、草の根的にボトムアップの投資型医療を展開していきたいと考えています。今後、将来的にはより付加価値を有するクリニック付属のメディカルフィットネスジムや健康食レストランの併設を構想しています。

 現在介護度の高い患者さんの受け皿として施設(有料老人ホーム、高齢者向け住宅、介護保険施設など)が、雨後のタケノコのように乱立しており、医業経営コンサルタントも今後の成長分野として積極的に提案しているようです。そんな時代の潮流に中で、「医療からヘルスケアへ」という価値観の転換と、それに基づく医療システムや業界構造の変革を目指す、これからの地域医療・福祉サービスに必要な視点について考えた結果、あえてその潮流に乗らないで、ボトムアップの予防的医療・投資型医療に邁進したいという結論に行きつきました。今後、提供し強化しなければいけないのは、予防や健康管理といった医療保険制度外のところにある医療だと思っています。旧態依然とした医療サービスで後手に回る医療・介護はもう止めにしよう、そして国の旗振りに頼り切らないで、今こそ目の前の危機に対して全力で立ち向かわないといけないと考えています。

 昨今では、医療や介護でこれからの将来像を議論していますが、そこでは「病気と闘う」、「病気を減らしたい」という声ばかりが聞こえています。ですが、よく考えると病人がいなくなったら医者も製薬企業も食べていけません。そんな産業構造のままで、どうしたら本気で病気をなくそうなんて本気で言えるでしょうか。そういった意味で、すでに予防や健診など先手が打てるところが、そういった業界構造の足かせのせいでどうしても後手に回ってしまうのではないかと思います。しかし、病院での医療や介護施設での介護は社会生活から分断したところで提供する非日常的なサービスです。そこに自ら行かなければ始まらない医療・介護はやめるべきだと考えます。医療・介護を日常的なものにすれば、なった病気のケアでなく、その人の生活や人生をケアできます。社会への投資と考えれば、それにかかるコストもコストでなくなります。

 糖尿病をはじめとする生活習慣病の例にもあるように、「予防や健康診断、リハビリの段階で発症・進行を食い止められないか」という問題意識が非常に重要であり、より上流を担うヘルスケア企業が参入し始めています。たとえば、介護現場での失禁。介護される人にとっては失禁しないことが最善なのにもかかわらず、排泄後のケアが介護士の仕事やお世話のやりがいにもなっているという矛盾が起こっています。「医療・介護がこうした仕事で稼ぎ出すと、このモデルから脱却できないのでイノベーションが起きなくなっている」失敗は、「医療・介護はこう」という決めつけから始まっています。

 現場で医療や介護に従事している人は、1対1のやりとりのなかで職人芸が磨かれ、また成果も見えやすいので、日々の充実感は半端ないわけです。それゆえに、介護であればケアする立場から逃れられなくなったり、医療であれば病気になるのを待って医療機関に閉じこもったりしてしまいがちです。それは「いつでもここで助けますよ」という意味ですが、逆に言えば「治療や介護が必要になったら来てください、それまで待っていますよ」というスタンスです。充実感が得られていても、自分が向いている方向は合っているのかをよく確認して、正しい課題設定をすることが必要と考えます。

 医師である私の2枚目の名刺である「労働衛生コンサルタント」としては、企業が「健康経営」に投資するという考え方を、機会を見つけて発信し続けたいと考えています。

 今ある最大の目標は、「予防や健康増強への投資というリスク回避」や「病気の重症化によるダメージという負担を最小限にすること」にフォーカスした保健・医療・介護に、どう受診者の意識改革を図っていくかということです。これが今の時代に求められている医療の新たな姿だと思います。現場での問題意識から「自分たちはこうしなければいけない」というビジョンを設定し、小さな成功体験を一つ一つ積み重ねていくことが大切であり、5年後の成功よりも、半年くらいのスパンで成果があるようなことから始めています。破壊的イノベーションを実現するためには、日々変革を続けることが最も重要です。なぜ自分がやるのか、それで誰がどう喜ぶのかという明確なビジョンのもと、自分だけでなく、人を動かし、社会を動かすことが求められています。まずは、その第一歩を踏み出したところです。